道草しながらデジカメと遊ぶ


by mekkemonn
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梅鉢御陵巡り その5 10.2.5

わが家のお墓がある「西方院」の向いに「磯長山(しながさん) 叡福寺」があります。
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山門(南大門)をくぐると真正面に「聖徳太子廟」があります。
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          境内から「南大門」を見る。
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聖徳太子」が推古28年(620年)に墓所を造営、翌年太子の生母「間人(はしひと)皇后」が死去されたのでこの墓に葬り、推古30年(622年)太子と妃の「膳手(かしわで)姫」が同時になくなり同じ墓に葬られたとされています。結果三骨一廟の陵墓になったとの事です。

太子没後に、「聖武天皇」の勅願により太子の墓を守り、霊を鎮めるため神亀元年(724年)に「叡福寺」が建てられました。
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南大門」をくぐって左側(西側)に「多宝塔」重要文化財があります。
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さつきの花が咲く頃に撮影したものです。真正面が「聖徳太子廟
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                  「多宝塔・金堂
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太子町春日より「聖徳太子廟」を遠望。

日本初の女帝で叔母にあたる「推古天皇」の摂政、31歳で日本最古の成文憲法「17条憲法」を起草した。
第一条に「和をもって貢とし、さからうことなきを宗とせよ」という有名な言葉を書かれ、
第10条には、「われ必ずしも聖にあらず、かれ必ずしも愚にあらず」とある。
人は誰でも優れたところも愚かなところも持った平凡な存在なのだから重要な事は和を持って互いに議論し合って決めようではないか」という趣旨の事だそうです。
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              太子町にはこんなマンホールがあります。
          色々と勉強させてもらった今回の「梅鉢御陵」巡りでした。
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by mekkemonn | 2010-02-13 08:54 | 歴史探訪