道草しながらデジカメと遊ぶ


by mekkemonn
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牽牛子塚古墳 10.9.11

奈良県明日香村の牽牛子(けんごし)塚古墳(7世紀後半)で現地見学会が11日、12日と行われ11日に行って来ました。
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                飛鳥駅
飛鳥駅の向かい側にある「夢販売所」に駐車させてもらい、徒歩私たちの足で
20分程の所に在ります。
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矢印の案内に従って歩く。
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受付でパンフレットをいただいて・・・
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8時半頃に現地到着まだ5~6人の方が並んでるのみでした。
数分後振り返ると古代史ファンの長蛇の列です。
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予定より1時間早く開始で待ち時間も短くラッキーでした。
東側から登り先ずは・・・
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約80トンの凝灰岩の巨石をくり抜いて、造られた横口式石槨の入り口から
2つの棺台が見えました。
この巨石は奈良県、大阪府境の二上山西麓から木製の大型そり「修羅」で運ばれたらしい。
地面を引きずるには約1400人、丸太を敷いても数百人の力が必要だそうです。
「斉明天皇」と娘「間人皇女(はしひとのひめみこ)」が合葬されてたとの事。
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石槨を囲む切石。
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熱心に見学する古代史ファン。
「斉明天皇」とその時代  (毎日新聞より抜粋)
国内外の情勢が激動する時代に生きた「斉明天皇」は、「舒明天皇」死後642年に「皇極天皇」として即位する。
翌年、聖徳太子の息子「山背大兄王(やましろのおおえのおお)」が「入鹿」らに襲われ自害する。
645年「中大兄(なかのおおえの)皇子」「藤原鎌足」の「蘇我蝦夷」、「入鹿」父子を滅ぼした
大化改新では入鹿が討たれるのを目の当たりにする。
弟の「孝徳天皇」に譲位するが、その死後655年に「斉明天皇」として再び皇位に就く。
飛鳥で大規模工事を次々と行ない、迎賓施設の「石神遺跡」大規模庭園の「飛鳥京跡苑池」石を大量に用いた遺跡の多くは斉明期に造られました。
斉明天皇の工事好きぶりを日本書記では「狂心(たぶれこころ)」とまで書いているそうです。
 日本の交流が深かった朝鮮半島の百済が唐・新羅連合軍に滅ぼされ、百済遺臣救援のため自ら軍政を率いて筑紫(福岡県)に赴いたが661年病のため朝倉宮でなくなった。


この日も暑い日でしたが、心は想い熱くタイムスリップしこの女帝の偉大さに感動した一日でした。
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by mekkemonn | 2010-09-12 08:25 | 歴史探訪