播州赤穂 11.3.5
2011年 03月 07日
わが家を4時過ぎam出発近畿道~山陽道を走行・・・
目的は龍野市でしたが時間もあり、赤穂まで直行しました。
6:30am到着
真っ青な空にそびえる隅櫓
大手門
東隅櫓台
赤穂城は近世になって発達した軍学・兵法に従って、縄張りされた城であり本丸・二之丸・三之丸の全ての郭(くるわ)が残された貴重な近世城郭遺構であることから、昭和46年(1941)に国史跡に指定されました (説明板より抜粋)
長屋門正面
この門は浅野家筆頭頭家老「大石内蔵之助」の一家三代が五十七年にわたり住んでいた大石屋敷の正面門長屋です。
かっては、内蔵之助と主税(ちから)の父子が朝夕出入りし、又元禄十四年三月主君の刃傷による江戸の悲報を伝える早駕篭が駆けつけた門です。
早水籐左衛門・萱野三平が実際にたたいた門です。
安政三年(1856)に大修理が行われ大正十二年国の史跡に指定されました。
45年位前に小さな子供の手を引いて歩いたこの門を思い出しました。
赤穂城付近に小さなカキツバタの様な花が咲いていました。
目的は龍野市でしたが時間もあり、赤穂まで直行しました。
6:30am到着
真っ青な空にそびえる隅櫓
大手門
東隅櫓台
赤穂城は近世になって発達した軍学・兵法に従って、縄張りされた城であり本丸・二之丸・三之丸の全ての郭(くるわ)が残された貴重な近世城郭遺構であることから、昭和46年(1941)に国史跡に指定されました (説明板より抜粋)
長屋門正面
この門は浅野家筆頭頭家老「大石内蔵之助」の一家三代が五十七年にわたり住んでいた大石屋敷の正面門長屋です。
かっては、内蔵之助と主税(ちから)の父子が朝夕出入りし、又元禄十四年三月主君の刃傷による江戸の悲報を伝える早駕篭が駆けつけた門です。
早水籐左衛門・萱野三平が実際にたたいた門です。
安政三年(1856)に大修理が行われ大正十二年国の史跡に指定されました。
45年位前に小さな子供の手を引いて歩いたこの門を思い出しました。
赤穂城付近に小さなカキツバタの様な花が咲いていました。
by mekkemonn
| 2011-03-07 10:32
| 小さな旅