神妙椋樹山 大聖勝軍寺
2008年 05月 07日
08.5.7
あみこさんより大阪市立美術館のチケットを送っていただき早速に大聖勝軍寺へ行ってきました。
聖徳太子が建立、河内三太子のひとつで「下の太子」又は太子堂と呼ばれている。
「上の太子」は太子町の叡福寺で、「中の太子」は羽曳野市の野中寺とのことです。
「門前に建てられた太子植髪像と四天王像」
「当山山号の由来」
聖徳太子と物部守屋の戦いで三度敗退し、大軍に包囲され絶対絶命の窮地に陥った時椋の大木が真二つ割れ太子は、幹の空洞に身を沈め九死に一生を得たとの事。
今はその樹より芽が伸びて大きな大木になっていました。実も沢山生るとの事。
山門の手前右側に守屋池があり物部守屋の首を洗った池との事。
境内の「一願不動明」
願い事を一心にお願いすればお授け下さるそうです。
物部守屋のお墓が探してもわからずお寺の方にお聞きすると丁寧に教えてくださった。
当お寺から25号線沿に100m程行った所にあり民家の奥まった所でした。
あみこさんより大阪市立美術館のチケットを送っていただき早速に大聖勝軍寺へ行ってきました。
聖徳太子が建立、河内三太子のひとつで「下の太子」又は太子堂と呼ばれている。
「上の太子」は太子町の叡福寺で、「中の太子」は羽曳野市の野中寺とのことです。
「門前に建てられた太子植髪像と四天王像」
「当山山号の由来」
聖徳太子と物部守屋の戦いで三度敗退し、大軍に包囲され絶対絶命の窮地に陥った時椋の大木が真二つ割れ太子は、幹の空洞に身を沈め九死に一生を得たとの事。
今はその樹より芽が伸びて大きな大木になっていました。実も沢山生るとの事。
山門の手前右側に守屋池があり物部守屋の首を洗った池との事。
境内の「一願不動明」
願い事を一心にお願いすればお授け下さるそうです。
物部守屋のお墓が探してもわからずお寺の方にお聞きすると丁寧に教えてくださった。
当お寺から25号線沿に100m程行った所にあり民家の奥まった所でした。
by mekkemonn
| 2008-05-07 23:04
| 神社仏閣