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道草しながらデジカメと遊ぶ


by mekkemonn
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<   2009年 06月 ( 15 )   > この月の画像一覧

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東吉野町R166の山間に見える花のような葉でした。この葉が猫が喜ぶマタタビと分かり次回は我が家のみぃこのお土産にしたいと思ってます。emoticon-0105-wink.gif
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by mekkemonn | 2009-06-29 08:31 | 花と実
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テプラデニア(マンデビラ)
植え替えは4月~5月 冬は20cm程刈り込んで日当たりの良い窓辺に置く。emoticon-0157-sun.gif
肥料:月1回液肥を施す。 用土:赤玉土小粒6、腐葉土4の割合。
挿し芽:頂点より葉4枚のところを切る。赤玉、川砂に挿す。
適期は気温15℃以上ならいつでも可能です。
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by mekkemonn | 2009-06-29 08:01 | 花と実
09.6.14
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駐車場より坂道を少し登った所に賤ヶ岳に登るリフトの駅に、七本槍で有名な勇士の名の旗がある。
ここは、お土産店です。
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         「眼下には大音の町が見える」
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リフトを降りて左側には奥琵琶湖が見える。ここより300m登ることになる。
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「ヘビイチゴ」          「庭石菖(にわせきしょう)」
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          「山頂より大音町望む」
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   「余呉湖全貌、遥か向こうに衣掛け柳がみえる」
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             「山頂で記念ショット」
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             「竹生島遠望」
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織田信長が明智光秀のため滅ぼされた本能寺の変後、天正11年(1583)4月の信長の重臣柴田勝家と
羽柴秀吉がこの賤が岳を中心として信長の後継者争いをし、秀吉が勝利を収め天下取りを決意した戦いだといわれています。またこの戦いにおいて、秀吉軍の近習加藤清正ら7人が槍をとって真っ先に進み柴田軍を突きくずしたといわれていることから賤ヶ岳の7本槍としてよくしられています。
             (説明板より
     加藤清正     加藤嘉明
     福島正則     平野長泰
     片桐且元     糟屋武則
     脇坂安治 
  
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              「三等三角点」
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            「北陸道長浜付近の伊吹山」
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by mekkemonn | 2009-06-28 08:48 | 歴史探訪
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穏やかな湖面や山々を綺麗に映すことから「鏡湖」ともよばれています。





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by mekkemonn | 2009-06-25 11:04 | 風景
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石田三成公は永禄3年(1560)石田町に誕生されました。その当時の石田家屋敷は、此の付近一帯にわたり約1丁4反歩あったものと思われます。
豊臣秀吉の五奉行の一人で、三成の父親正継(まさつぐ)は浅井長政の家臣石田村の地侍でした。
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               「石田三成公」
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「堀端池」または「治部池」石田屋敷の一部遺構と伝えられています。
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by mekkemonn | 2009-06-22 16:24 | 歴史探訪

伝正寺 (国指定史跡)

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姉川古戦場より伝正寺へ徒歩で行く途中に、こんな看板がありました。水もきれいでした。
蛍は午後7時頃より光始め、午後8じから9時ごろが活動のピーク。風のない月の出ない夜は絶好の蛍観賞ができるそうです
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「城主三田村左衛門」伝正寺の説明板より。
城主三田村左衛門は姉川合戦後、小谷城中の丸に籠もったが元亀3年(1572)8月27日羽柴秀吉を通じて信長に降参したが討伐されたといわれています。
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三田村氏累代の居城、三田村城本丸「伝正寺」
京極・浅井氏の家臣、姉川北岸で大きな勢力を誇った三田村氏の屋敷跡。
60m四方の土塁に囲まれた平地城館で土塁の高さ2m~3m幅5m。(当時のままとの事)北側の土塁は近代になって破壊されたそうです。
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高く積まれた土塁の向こうに伝正寺の屋根が見える。
430年ほど前には、土塁の内外では激しい戦いがあった当時の事が想像された。
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by mekkemonn | 2009-06-20 21:15 | 歴史探訪

小谷城と麦畑

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   「姉川古戦場跡より小谷城遠望」
織田信長の妹「お市の方」を娶り信長と同盟を結んだ浅井長政、その長政が城主として君臨し最期を迎えたのが、このお城です。
此の辺りでは一面の麦畑で黄金に実った小麦が収穫を待つばかりです。小麦はJAに納めるだけで加工はないとのことでした。減反を利用して造ってると聞きました。
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麦畑の農道には「タチアオイ」の花が満開です。emoticon-0155-flower.gif
此の後伝正寺へと行きます。
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by mekkemonn | 2009-06-20 09:03 | 歴史探訪
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元亀元(1570)年6月浅井・朝倉連合軍1万8千人と織田・徳川連合軍3万4千人が姉川を舞台にして戦った。
夜明けと同時に戦い両軍合わせて3千人近い死者を出した。浅井・朝倉の戦いむなしく聡崩れとなり昼頃には決着が付いたといわれています。
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この辺りは血で真っ赤に染まったと言われる原は、今は公園になりパターゴルフが出来るようにホールスタンドが立っていました。地名も「血原」です。
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公園内は菖蒲の花でしょうか?
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姉川堤の近くに姉川古戦址の碑がありました。この碑の周辺を掃除していられる方があり、この地域の人たちが年一回清掃された後供養されるそうです。その詳しい方に「徳川が陣をひいたところが見える」と姉川の堤から見えるからと案内をしてくださいました。
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血で染まったと言われる川は草が茂って遠くに勝山が見える、今では静かな風景でした。
この川の左側に野村橋があってその辺りが織田軍が陣を構えたところうと説明をしてくださいました。
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今から429年前に戦いがあったとは思われないのどかな風景を後にしました。
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by mekkemonn | 2009-06-15 15:16 | 歴史探訪
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我が家で一番小さなお花ですemoticon-0115-inlove.gif
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by mekkemonn | 2009-06-10 12:21 | 花と実
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日本で雄一の飛び地の村「和歌山県北山村」にある「おくとろ温泉」です。
北山村は和歌山県でありながら奈良県・三重県に囲まれ和歌山県のどの市町村とも隣接していません。
我が家から所要時間4時間程です。
 
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              「露天風呂」
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               「女性風呂」
客は誰も居なくて貸し切りなので撮影も出来ました。
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          露天風呂の近くには「打たせ湯」
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            「飲用できる温泉」
泉質:単純硫黄(アルカリ性低張温泉)口に含むとゆで卵の匂いがした。ペットホトルいっぱい頂きおかゆを炊いてみたら美味しかった。
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敷地内に道の駅もあり、筏下りの起点にもなっています。
水と共に生き、暮らしてきた北山の人々にとって北山川はかけがいのない存在です。
伐採した木材を新宮へ運ぶ手段として始まった筏流しは、
600年の歴史を持つとの事。
昭和40年代にはいり北山川にダムが建設されたのを契機に筏師もすっかり姿を消しました。ダムの建設と共に、道路も整備され木材の運搬も水路から陸路に切り替わったそうです。
昭和54年8月からこの筏流しから観光筏下りに復活して現在に至っているとの事です。
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力強くコンクリートの隙間から花を咲かせる「ワルナス」
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by mekkemonn | 2009-06-09 12:48 | 小さな旅