地蔵石物(泉橋寺) 09.11.16
2009年 11月 19日
鎌倉時代」に奈良「般若寺」の僧「真円上人」が泉橋寺を再興し、地蔵石仏を造立しました。
もとは地蔵堂に納まり台座、光背を備えていました。
応仁の乱で地蔵堂は「大内政弘」に焼き払われ、江戸時代に頭部と両手が修複され露座で曝す姿になります。
日本最大の地蔵仏として雄大な姿を留めています。高さ4.58mあります。
応仁の乱:応仁元年(1467) 室町幕府菅領「細川勝元」と「山名持豊(出家して山名宗全)」との対立に
室町時代8代将軍「足利義政」には実子がなく弟の「義視(よしみ)」を跡継ぎに決めたが、その翌年妻の日野富子が「義尚(よしひさ)」を生みこれを将軍に立てようとしたため両者の跡継ぎ争いがおこった。
by mekkemonn
| 2009-11-19 09:16
| 神社仏閣